当店の歴史


 

1915年(大正4年)頃、創業者である大竹要一は、宇都宮市四条町(現宇都宮市西)で

開業していた実兄、大竹要介の下でクリーニングの修行を始める。

 1936年(昭和11年)、要一は独立し、宇都宮市石町(現三番町)に「大竹洗染所」として

店を構える。

 

 

 

 

(当時のはんてん)

 

 

 

 

 

(当時作られた会社のロゴ)

(お客様にお配りした手ぬぐい)


のちに「大竹クリーニング店」と名称を変更。

市内では「四条町の大竹」と「石町の大竹」と呼ばれ、お互い切磋琢磨していく。


当時は、機械も少ない時代で20人以上の手を必要とした。中には、住み込みで腕を磨き

独立開業した職人が何人もいた。

当時の集配(御用聞き)は自転車から始まり、オートバイ、ミゼットに

変わっていった。

 

ドライ機もまだ自店で持てなかった時代。市内の何社かと合同で設立した

「ドライクリーニング工場」に参加。他店との交流も盛んであった。


昭和29年「有限会社 大竹クリーニング店」となる。

この頃、国家資格となった「クリーニング師」の初代試験官には要一が選出された。



要一死去により、大竹清士が、36歳で代表取締役となる。

外交が主流だった時代から取次店が増えてきた時代で、清士は店舗造りにも積極的に

こだわり、様々な改築を繰り返し、常に時代にあった店舗、工場造りを目指した。

当時、個人店で主流であった店頭での作業を取り止め、お客様からお預かりした品物を

キレイに見えるように保管し、お客様を待たせない店舗造りを心掛けた。

 

のちに取次店「赤門通り店」や「吉野町店」を開設。(現在は閉鎖)


当時、最新のドライ機「エタン」を宇都宮で初めて導入。

この頃から、個人のお客様だけでなく、法人のお客様の業務用クリーニングを数多く

請負うようになる。企業の制服や作業服、病院の白衣、ユニフォームやシーツなどの

業務用品に合わせた技術や機械を導入していく。


平成16年、3代目となる大竹功晃が入社する。クリーニングは未経験であったが、ベテランの

職人達から指導を受け、クリーニング師を取得。(妻、真紀子も同年取得)

 

創業70周年を期にリニューアルオープン。お客様駐車場も完備。




 

 

 

 

初代から当店を

支えた会澤職人


 

 

 


1歳からアイロンを握る4代目?


平成27年5月




平成30年6月、大竹清士が取締役会長になり、3代目となる大竹功晃が代表取締役に就任。


令和6年2月、最新しみ抜き台を導入!